御坊生まれの蓮・皇室献上の花 阪本祐二氏が昭和41年(1966)よりアメリカ黄花蓮と大賀蓮の交配を試み、昭和43年(1968)6月21日開花に成功する。 同年、花は東宮御所の皇太子ご夫妻に献上された。 その後皇居に移されて昭和天皇皇后両陛下にもご覧いただいた。 花の閉じるときの姿が舞うがごとき優雅さをそなえることから、美智子妃殿下のお姿を重ねて、阪本祐二氏が皇室献上の年、昭和43年に舞妃蓮と名付けた。 現在、栽培地は皇居をはじめ全国に広がっている。
和歌山県御坊市藤田町吉田生まれ
大正14年(1925)~昭和54年(1979)
蓮研究家 県立高校で教鞭をとるかたわら大賀一郎博士に師事し、蓮の伝播経路の研究や蓮の品種分類、育種を行い、舞妃蓮をはじめとする黄陽蓮・昭美蓮・瑞祥蓮・明光蓮を作出する。
国内をはじめ、韓国、中国、インド、アメリカへの蓮の移植に努める。
その思いは「荷風千里」に凝縮されている。
大賀蓮の真偽論争で擁護側に立って論陣を張った。
大賀博士の没後より一部の専門家から信憑性についての議論が惹起された。
その払拭のために花粉研究からアプローチを試み、花粉四集粒にその糸口を発見した。
その結果を昭和54年度日本花粉学会で発表し、一定の評価を得た。
昭和26年(1951)千葉県千葉市検見川の東京大学厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)地下約6mの青泥層から、大賀博士とその協力者によって古蓮実が発見された。
同年5月発芽、翌年の昭和27年7月に開花、海外でも大きく報じられ話題となる。大賀博士は、考古学、地質学、植物学の知見に加え、当時最新の年代測定法から、少なくとも二千年前のものであると判定した。
岡山県賀陽郡庭瀬村(現・岡山市)生まれ
明治16年(1883)~昭和40年(1965)
植物学者(理学博士)東京帝国大学(現・東京大学)で植物学を学ぶ。
内村鑑三を師と仰ぎ、薫陶を受ける。
博士の教育・研究活動の根底にはキリスト教精神があり、平和を愛する心は「蓮ハ平和の象徴也」の言葉に現れている。